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長野地方裁判所佐久支部 平成5年(ワ)85号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金一〇〇万三七〇七円及びこれに対する平成三年八月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

理由

一  請求

被告は原告に対し、金三七五万四九〇七円及びこれに対する平成三年八月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  事案の概要及び争点

1  本件は、地域の親善ソフトボール試合に出場した原告と被告が、競技中身体を衝突させるという事故を起こしたため、それにより原告が負傷したとしてその損害の賠償を求めるものである。

2  争いのない事実及び証拠により明らかに認められる事実は次のとおりである。

(一)  平成三年八月四日、佐久市立野沢中学校グラウンドにおいて、佐久市ソフトボール協会主催の男女混合ソフトボール大会が開催された。右大会に、原告は取出チームの、被告は前山南チームのメンバーとして出場した。

右ソフトボール大会は、男女とも四〇歳以上でなければ出場資格がなく、常時四名以上の女性が出場していなければならない規則となつており、盗塁やラフプレーも禁止されていた。

(二)  右両チームは、同日午後七時から開始された第一試合において対戦した。この試合中、原告が捕手の守備についていたところ、相手方チームの打者がヒットを打つたので、同チームの二塁走者であつた被告が、三塁を回り、左足からホームにスライディングした。その際原告が転倒し、左膝後十字靭帯断裂の傷害を負つた。

3  原告の主張する損害は次の通りである。被告は、右損害をすべて争う。

(一)  治療費 八万四一八七円

原告は、事故後ただちに長野県厚生連佐久総合病院に入院して治療を受け、三日間の入院後平成三年八月六日長野県厚生農協連松代総合病院に転院し、同年一〇月九日まで入院して手術を受け、いつたん退院した後、平成四年一一月一八日から同月二四日まで入院した。右二度の入院期間中も通院を続けた。

原告の治療費合計五八万八一〇九円から、治療費、装具代についての佐久市からの一部補助、保険からの入院保険金の支払い合計五〇万三九二二円を控除すると八万四一八七円である。

(二)  入院雑費 九万円

原告は、右のとおり七五日間入院したので、一日あたり一二〇〇円の入院雑費合計九万円。

(三)  通院交通費 三万〇七二〇円

自宅から松代病院までの、JRの列車、長野電鉄の電車による一日あたり二五六〇円の往復通院交通費の通院日数一二日分

(四)  休業損害 九五万円

原告は事故当時四三歳であり、家事に従事するかたわら不動産会社に勤務していた。本件事故のため会社を辞めざるを得なくなり、一年後である平成五年八月からパートの仕事につくようになつた。原告のように主婦兼業の勤労女性の場合、その休業損害は、賃金センサスによる女子労働者の平均賃金が現実収入を上回る場合は右平均賃金で算出されるべきであるところ、平成三年賃金センサスによる平均賃金は二九六万円である。もつとも、原告は宅地建物取引主任の資格を有していたことから、右休業期間中も、右資格を利用した石井商会から合計一一五万円の支給を受けたので、この額を控除した一八一万円が実損害額である。そこで、このうち九五万円を請求する。

(五)  慰謝料 二〇〇万円

(六)  弁護士費用 六〇万円

(七)  合計 三七五万四九〇七円

4  主たる争点は、事故発生の態様、とりわけ、被告のスライディングの直前の原告の捕球体勢がどのようなものであつたかという事実認定上の問題と、スポーツ競技中の衝突による負傷について、不法行為責任が発生するかという法律問題である。

(一)  原告は、ホームベースの右前隅に左足を乗せて立ち、外野からのバックホームの辺球を待つ形をとつていたところに、被告のスライディングした足が自己の左足に衝突したとするのに対し、被告は、原告は両足でホームベースを跨ぎ、腰を落として完全にブロックしていたので、正面衝突を避けるため自己の左足を原告の足と足の間に滑らせる形でスライディングしたと主張する。

(二)  原告は、スポーツ競技中の事故につき通常は違法性を欠くものであることを認めつつも、本件試合の資格制限や試合規則からみて、本件試合の趣旨は、勝敗の有無にこだわらず参加した者の安全に配慮しながらスポーツを通じて地域住民の懇親をはかる点にあつたとし、こうした趣旨の試合であつたにもかかわらず、防具をつけず全くの無防備の女性捕手であつた原告めがけて危険な態様でスライディングした被告の行為は、スポーツ競技中のこととはいえ、社会的相当性を欠くものであつて違法性が存すると主張する。

これに対し被告は、懇親を目的とする試合であつても、競技である以上当然勝敗も競うものであり、被告が得点を求めてホームベースにスライディングしたのは競技として当然のことであり、これなくしては競技そのものが成立しない。また靭帯損傷は、スポーツ競技中において極めて一般的な良くある負傷であり、わずかなはずみで発生するものである。したがつて、本件は、競技の中で発生した不可抗力の事故であつて不法行為は成立しないとする。

三  当裁判所の判断

1  原告の捕球体勢について

衝突直前の原告の捕球体勢がいかなるものであつたかについては、原被告双方の供述のみならず目撃者の証言もかなり異なる。

本件試合の主審をしていた市川証人は、被告がホームに走り込んで来る時捕手の原告はホームベース上で片方の膝を曲げて立ち膝の姿勢をし、ホームベースを「完全ブロック」しており、被告は左足をベースに向けてスライディングしてきて接触したと証言し、被告もほぼ同趣旨を述べている。

一方、原告チームの監督であり、三塁側ベンチから衝突の模様を見ていたという井出証人は、原告は左足をホームベースにかけ、左脚を一二〇度くらい曲げた中腰の状態で捕球しようとしていたとし、原告自身は、左足をホームベースの右前端に、右足はさらにその斜め前に置いて立つた状態で返球を待つていたと述べる。

このように証言や供述は著しく異なるのであるが、市川証言や被告供述の述べるような「完全ブロック」とは、一般には、捕手が意識的に、自らの身体をもつてホームベース上を塞ぎ、三塁から走り込んでくる走者のベースへのタッチを、いわば身をもつて防ぐことを意味するものであつて、走者との衝突を十分に覚悟の上でなされるプレーであると考えられる。しかし、本件試合において、原告は防具類は全くつけてはおらず、しかも、走り込んでくる走者は男性であつたのであるから、原告がそのような危険なプレーを意識的に行うということはおよそ考えられない。もつとも、市川証言によると、原告がこの時捕球しようとした外野からの返球はワンバウンドしていたとのことであるから、原告は腰を落として捕球しようとしたと考えられる。してみると、原告の捕球体勢が、結果として、ブロックに近い形に見えたということは考えられないではない。市川証人は、主審として、ホームベースの間近で両者のプレーを注視していたのであるから、両者の衝突前の体勢について、全く記憶違いをしているということは考え難い。また、井出証人も、程度の違いはあるが原告が腰を曲げて捕球しようとしたという点は証言している。したがつて、市川証言は、原告の捕球体勢及びその際の足の位置を述べた限度では信用できると言うべきである。一方原告は、前述のとおり、ホームベースの右前端に左足を置き、立つた姿勢で捕球しようとしていたと述べるが、右市川証言、被告供述(さらに、腰を落としていたか否かについては井出証言も)と対比して措信できず、採用できない。

以上のとおり、原告はホームベース上で、腰を落として捕球しようとしていたものと認められる。

2  不法行為責任の成否

右のような原告の捕球体勢に対し、被告は自ら述べるように、原告の足と足の間に滑り込もうとして左足からスライディングしたのであるが、この行為が不法行為を構成するものであるか否かが次の問題である。

一般にスポーツ競技中の事故による負傷については、社会的相当性を欠くものではないとして違法性が阻却されることが多い。とりわけ、プロ野球や社会人野球、学生野球(ないしソフトボール)など、プロスポーツやそれに準ずるような質の競技であれば、違法性を認め得ないのが原則と思われる。けだし、そうした試合においては、出場選手の相互が肉体的に対等な条件下で、身体の激しい接触をも辞さないプレーをして得点を争うことが、言わば競技の本質上求められており、それ抜きではもはやスポーツとして成立し得ないことにもなるからである。またそうであるからこそ、そうした競技においては、負傷を可及的に回避するための防具の着用なども義務づけられているものと解される。

しかしながら、本件のソフトボール試合は、地域住民相互の親睦を目的とした催しであり、住民一般を対象とした男女混合の試合で、参加資格者は四〇歳以上の高齢者で、しかも、常時女性四名以上の出場が義務づけられるというものであつたのである。このように高齢の一般人を対象とした、かつ男女という本質的に異なる肉体的条件下にある者を意図的に混在させたスポーツ競技においては、前述したようなプロスポーツやそれに準ずる競技の場合と異なり、勝敗を争つてプレーをする際に許容される行動の限度が、自ずから異なると考えられる。即ち、場合によつては得点を激しく競うことを犠牲にしても、試合開催の第一目的である相互の親睦という趣旨を尊重し、参加者の負傷や事故--ひとたびそれが発生すればそうした試合の趣旨が大きく損なわれることは明らかである--をできる限り回避すべく行動する義務が、社会通念として、参加者各人に課せられているというべきである。したがつてこうした意味において、この種競技の際の負傷行為について違法性が阻却される余地は、プロスポーツなどの場合に比して狭いといわなければならない。

本件試合において被告は、ホームベース上で原告が捕球体勢をとつていることを十分承知の上で、ほとんどホームベースの幅程度しか開いていない原告の両足(被告が本人尋問の際図示したところからもそれは明らかである)の間に片足をスライディングさせてホームへの生還を果たそうとしたものであり、それは、捕手をしていた原告との身体的接触がほとんど不可避なプレーであつたと言える。そしてさらに、被告が得点を得るべく可能な限りの速力で走り込んで行つたであろうこと、スライディングした足にはもちろん運動靴を履いていたこと、被告は防具類をいつさい身に着けていなかつたこと、原告は女性であつて男性である被告とは体格や運動能力にかなりの格差があつたと考えられることからして、被告のこのプレーは、原告に負傷を負わせる可能性が十分に考えられるかなり危険な行為であつたと認められる。ちなみに、得点の可能性はより低くなるにせよ、原告の身体との接触を回避しつつ手でホームベースにタッチすることを試みることも十分に可能であつたと考えられ、かつ、被告がそのような行動をとつたとしても、試合の興趣が格別損なわれるというものではなかつたと思われる。したがつて、前述した試合の趣旨にもかんがみれば、得点を得ようとするあまり、被告があえて選択した右の如き危険なスライディング行為に違法性阻却の余地を認めることは困難であると言わなければならない。また、いかに得点の獲得に夢中になつてのことであつたとはいえ、被告の右行為態様からすれば、原告を負傷させるかもしれないことは予見可能であり、かつそれを回避することも可能であつたと考えられるから、被告に過失があつたことも優に認められると言うべきである。

なお被告は、靭帯損傷という負傷はスポーツ競技において通常良く見られるものであるとも主張するが、損傷の態様の共通性というだけで純粋な自損事故や明らかに避けられなかつた選手同士の衝突などの場合と本件事故を同一視することもできないから、この主張は採用できない。

3  損害

そこで、原告が受けた損害について検討する。

(一)  治療費 八万四一八七円

《証拠略》によれば、原告は本件衝突により負つた負傷の治療のため、原告主張の期間入院し、かつ退院期間中は通院治療をし、装具代の負担をしたことが認められ、その費用は、原告が自認する佐久市からの治療費補助、装具代補助、保険金を控除すると少なくとも原告主張の八万四一八七円にのぼることが認められる。

(二)  入院雑費 八万八八〇〇円

原告の入院期間は、《証拠略》によると通算して七四日間である(証拠上は八月六日分につき、佐久総合病院と松代総合病院が重複して記載されている)。入院雑費は、一日あたり一二〇〇円を認めるのが相当である。そこで一二〇〇円の七四日分八万八八〇〇円が入院雑費分の損害となる。

(三)  通院交通費 三万〇七二〇円

《証拠略》によると、原告主張のとおりの通院交通費を認めることができる。

(四)  休業損害 四〇万円

《証拠略》によると、原告は、本件事故前、勤務していた不動産会社石井商会から、毎月一〇万円ずつ給与の支給を受けていたところ、本件事故により勤務できなくなつたが、原告の宅地建物取引主任の資格を同商会に使用させていたことなどから、引き続き一〇万円ずつの支給が平成三年一一月まで継続され、同月末にはボーナスと思われる三〇万円も支給され、同年一二月から毎月五万円となり、その支給が平成四年九月まで続けられたことが認められる(原告は、勤務しなくなつた平成三年八月から月五万円となり、しかも同年一一月までの四か月間支給を受けただけであつたと述べるが、《証拠略》の記載と異なるし、原告自身最終弁論において、休業期間中右石井商会の回答どおり合計一一五万円の収入を得ていたとの主張もしていることから、右供述は採用できない)。

原告が賃金センサスの平均賃金一年分を請求額算出の根拠としていることや、平成四年八月に「カクイチ」におけるパート勤務を開始するまでが休業期間であるとの趣旨を述べていることからして、原告の主張する休業期間は、事故時から平成四年七月までの丸一年間であると解されるところ、この期間における原告の減収は、右のとおり、平成三年一二月から同年七月までの八か月間、本来一〇万円の給与が五万円に減らされた分合計四〇万円であるということになる。

原告は、主婦兼業の勤労女性は、賃金センサスによる平均賃金が現実収入を上回る場合には平均賃金を基礎として損害を算定すべきであるとするが、本件では右のとおり事故による収入の減少が具体的に算出でき、労働能力喪失期間中の得べかりし収入額を推定する必要がそもそも存しないうえ、右休業期間とされる期間中原告が主婦としての家事労働能力をも喪失したか否かについては何ら主張立証がないから、原告の右主張は採用しない。

(五)  慰謝料 三〇万円

《証拠略》によると、原告は本件事故により、靭帯の縫合手術や埋め込んだ金具の撤去手術も含む合計七四日間という長期間の入院治療費と、その間前後一〇回の通院治療を受けたこと、一年以上にわたり金具を膝に入れた状態で不自由な生活を強いられたこと、今後も筋力の回復を見るため時々通院しなくてはならないことが認められる。本件により原告が受けた肉体的、精神的苦痛はかなり大きなものであつたと考えられる。

しかし一方で、本件が何と言つてもスポーツ競技中の事故であり、通常の過失による傷害事故とはその違法性や責任の面で異なるものがあることは、慰謝料算定において考慮しないわけにはいかない。いかに男女混合の試合とはいえ、ひとたび試合が始まり得点を争う局面になれば夢中でプレーをすることになるのはスポーツに共通の本質ともいうべきものであつて、本件は、原告も被告もそのようにして我を忘れてプレーに興じる中で起きた不幸な事故であつたという面を否定できない。また、本件事故を契機に佐久市ソフトボール協会主催の大会では男女混合試合が行われなくなつたとのことからもうかがわれるように、身体の激しい衝突をしばしば伴うソフトボールという競技を、こうした高齢者男女の混合という形で行つたこと自体に問題があつたとも見れるのであり、ひとり被告にのみあまりに甚大な賠償責任を負わせるのは過酷に過ぎると言わなければならない。

こうした種々の事情を斟酌すると、本件の慰謝料としては、三〇万円をもつて相当と認められる。

(六)  弁護士費用 一〇万円

本件訴訟の規模、内容及び右認容額にかんがみれば、賠償を認めるべき弁護士費用は一〇万円が相当である。

(七)  合計 一〇〇万三七〇七円

4  結論

以上によると、原告の本訴請求は、一〇〇万三七〇七円及びこれに対する不法行為の日である平成三年八月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却する。

(裁判官 林 正宏)

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